穏やかな最後を看取る
胃ろうを作っても作らなくても穏やかな看取りはできます。
月山、鳥海山を望む山形県鶴岡市の鶴岡共立病院の副院長、橋美香子先生はそう強調する。
内視鏡を使って2000件以上、胃ろうを作る手術をしてきた。
作るかどうかは本人や家族と相談して決めるが、作ったからには食べる為のリハビリはもちろん、必要に応じて自宅や施設にも出向いて栄養管理をきめ細かく行い、最後の看取りも行う。
その日に訪れたのは、93歳女性の家。
4年前からのうこうそくで寝たきりになり、胃ろうを作った。
リハビリも試みたが、現在の栄養は胃ろうが頼りだ。
栄養剤の注入を初め、介護にあたるのは娘62歳。
週2回のデイサービスを利用しながら、夜は同じ部屋で寝て、必ず体位交換している。
昨年夏から栄養剤を入れると吐くようになったため、胃から管を伸ばして小腸チューブにした。
栄養剤のタイプを変え、注入量を減らすと安定した。
体が受け付けなくなってきたのでそれにあわせました。
これからは少しづつ弱ってくると思います。と伝えられている。
認知症が進み、言葉は出ない。
第三者からの目には声をかけても全く反応がないように見える。
だが娘には、微妙な動きがわかるという。
歌やテレビが好きで、気分によって表情が少し変わる。機転がきき、よく冗談をいった母。
顔を見ていると安心する。一日でも長く一緒にいたい。
鶴岡共立病院では、地域の医療・介護関係者にも呼びかけ、毎月胃ろう関連のセミナーを開いている。看取りもテーマの一つ。
胃ろうを作ったら、きちんと使いこなし、上手に最後を迎えてもらうのがプロ。
不幸な状態になるのは知識が技術が足りずうまく使えていないからです。
胃ろうに対しては寝たきりや重い認知症の状態で人工的に栄養を受けて長く生きるのは尊厳を失うという議論がある。
橋先生は胃ろうにすれば少し長生きするけど、いつかは必ず衰えてくる。
高額の医療費がかかる方法でもないと。
認知症が進行してもその人を大切に接すれば何らかの反応はある。
個性も有る。人間の尊厳とは、活動性や生産性ではなく、一人一人の存在の価値。
たとえ意思表示が出来なくても穏やかに生きるのは悪いことでしょうか。
延命について渡しの意見は、なかなかいい先生には巡り合えないと思います。
そもそもご飯を食べれなくなったら昭和の戦前であればもう死んでいます。
ご飯を食べれなくても生きれるようになったのは最近です。
尊厳といいますが、本人にとって無意識の日常ならば、無理に長生きもどうかと思うかもしれません。
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